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若槻礼次郎と嫁島の松
藤原義光氏より寄せられた「若槻礼次郎と嫁島の松」
「嫁島の松は若槻礼次郎が植えた」といろいろと読んで、私も雑文に書きもしてきた。たとえば先日の点睛「えぇことはえ。わりぃことはわりぃ」では次のように書いた。
「松江市は、歴史的景観や川沿いの風光に大きな影響がある建物の規制を図るため、急遽景観条例の見直しを実施中だ。しかし、現在進行中のマンションには適用できないのが「法治主義」で、法の不遡及の原則がある。
法による規制はできないにせよ、市民団体・まつえ/風景会議も「近隣建物と均衡する高さへの階層引き下げ」要請を実施し、行政や経済団体にも同趣旨の要請文の送付を働きかけた。しかし、「法に反しない限り経済活動は自由だから、部外者がとやかく言えない」との立場のようだ。
若槻礼次郎は嫁が島に松の植林を提案し、それで今の風光になったと聴く。小泉八雲は松江の風情を好み、それを讃美する文を遺した。二人をAI(人工知能)で蘇らせれば、建設中のクレーンを見上げてどんなの意見を言うだろう?」と書いた。
その若槻が植えた根拠となる文が回顧録の中にあった。書いたのは、当時若槻の秘書木村小左衛門(大東町出身 戦後、農林、内務、建設などの大臣を歴任)。引用する。
若槻礼次郎の回顧録「古風庵回顧録」(島根図書館蔵)
「若槻さんの性格と趣味」
(前略)人の知らない趣味に樹木を愛好された。樹木といっても盆栽ではなく、自然の樹木で昔からあった路傍の大木などが、戦時の混乱にまぎれて伐採されたりすると、「こんな木は金や科学の力ではつくれない。時間と空間がなければできるものではない。古木くらい神秘で自然な美しさを備えたものはない」と心から悲しまれたものである。その一つの例で知っている人の少ないことに、郷里の宍道湖に嫁島という、古来から詩や歌に親しまれた島があって、二本の古い松大木が美しく島を飾っていたのだが、保護されないので、いつしかこの松が二本とも枯れてしまった。たまたま、昭和6年であったか、軍縮会議全権の大任を偉功をたてて終り、久し振りに帰郷されてこれを御覧になり、痛嘆のあまり、ひそかに私費を投じて数十本の松を植えさせた。しかも、そのことを新聞にも書かせず、誰にも話させなかったので、20年後の嫁島は昔ながらに美しくなった今でも、このことを知っている人は少ない。(後略)